終戦後もジャングルに潜んだ兵士たち

政治ニュース
1974年 元上官に28年ぶりに任務を解かれた小野田寛郎大尉

30年間、日本兵として生き抜いた男たちの物語

第二次世界大戦が終わってからも、日本に帰国することなく、長年にわたってジャングルに潜伏し続けた兵士たちがいました。

私も当時、驚きをもってニュースを見ていたことを思い出します。1972年1月に横井伍長、1974年2月に小野田少尉が発見されて帰国されました。後年、穏やかなお顔になられましたが、帰国当時に軍帽を被ったままの小野田氏の凛とした風貌や鋭い眼光は、まさに日本兵そのものだと思ったものでした。

特に小野田氏が、発見されたあとも「任務は解かれていない」と帰国を拒み、元上官が任務を解いてようやく帰国したというエピソードは、なんとも心がずきんとするようなある種の感動があったことを憶えています。

彼らはなぜ、終戦の知らせを信じず、たった一人で戦い続けたのでしょうか。ここでは、その代表的な二人、横井庄一氏と小野田寛郎氏の物語を通して、戦争という時代の重みと、彼らが帰国後に迎えた「戦後」の姿について見ていきましょう。

「恥ずかしながら帰って参りました」 横井庄一氏の30年

横井庄一氏は、1915年(大正4年)に愛知県で生まれました。洋服の仕立職人として働いていましたが、1941年(昭和16年)に徴兵され、陸軍の伍長として太平洋戦争が始まるとグアム島に派遣されました。

1944年(昭和19年)、米軍がグアム島に上陸。日本軍が玉砕する中、横井庄一氏は生き残り、終戦を知らないまま密林に潜伏生活を送ることになります。彼は、地元の人が住む集落から離れたジャングルの奥で、タロイモやシダを食べて飢えをしのぎ、木や草、繊維を編んで衣服や生活道具を作りました。約30年間、日差しが差し込まないほど深い地下壕を掘り、一人で自給自足の生活を続けたのです。

発見と帰国

1972年(昭和47年)1月24日、ジャングルでエビを獲っていたところを地元の猟師に発見され、身柄を拘束されました。彼は、30年近くも潜伏していたため、日本語を忘れてしまい、意思疎通が困難な状態でした。

帰国後、会見で述べた「恥ずかしながら帰って参りました」という言葉は、当時の流行語にもなり、多くの人々の心に深く刻まれました。当時の日本では、高度経済成長を遂げ、人々の暮らしは豊かになっていました。そんな日本に帰国した横井庄一氏は、日本の変わりように驚きつつも、「戦争に負けたこと」を受け入れ、残りの人生を平和な日本で過ごしました。彼はテレビ番組に出演したり、講演活動をしたりしながら、戦争の悲惨さを語り続けました。

横井庄一氏は、1997年(平成9年)に82歳で亡くなりました。

「私の任務はまだ終わっていない」 小野田寛郎氏の29年

小野田寛郎氏は、1922年(大正11年)に和歌山県で生まれました。少年時代から強い意志と行動力に富み、貿易会社で働いた後、陸軍中野学校に入学しました。陸軍中野学校は、秘密任務やゲリラ戦の訓練を行う特殊な機関でした。

1944年(昭和19年)、小野田氏は陸軍少尉としてフィリピンのルバング島に派遣されます。彼は、玉砕を禁じられ、「何があっても生き残り、ゲリラ戦を続けよ」という特命を受けていました。

ルバング島での潜伏生活は、部下と一緒でした。終戦後も降伏の命令がないまま、ゲリラ戦を続け、地元の住民やフィリピン軍と交戦を繰り返しました。仲間は一人、また一人と亡くなっていきましたが、小野田氏はただ一人、任務を遂行するために戦い続けました。

発見と帰国

1974年(昭和49年)2月、冒険家の鈴木紀夫氏が小野田氏を発見しました。鈴木氏は「もし小野田さんが生きていたら、どんなに嬉しいか」という思いでジャングルを探検していたのです。小野田氏は、鈴木氏に「上官の命令がなければ投降できない」と告げました。

この知らせを受けた元上官の谷口義美氏(少佐)は、1974年3月9日にルバング島へ飛び、小野田氏に口頭で任務解除を命じました。29年ぶりに任務を解かれた小野田氏は、3月10日にフィリピン軍に投降しました。

帰国後の会見では、「私の任務はまだ終わっていません」と語り、終戦から長い年月が経った日本社会を、冷静な目で見ていました。

帰国後、小野田氏は戦争体験を語り継ぐため、全国で講演活動を行いました。また、日本の自然や伝統文化を守るための活動にも熱心に取り組み、海外にもその活動は広まりました。

『最後の日本兵 小野田寛郎さん』 発見からマニラを発つまでのドキュメンタリー TBS 2021.10放送 6分
『ONODA 一万夜を超えて』 2021年10月8日公開の映画。フランス、ドイツ、ベルギー、イタリア、日本による国際共同製作作品で、原案はベルナール・サンドロンの著書『ONODA 30 ans seul en guerre』
 太平洋戦争後、約30年目に生還した小野田旧陸軍少尉をめぐる実話を基に「汚れたダイヤモンド」のアルチュール・アラリ監督が映画化。任務解除の命令を受けられないまま、フィリピン・ルバング島で、孤独と対峙しながら生き続けた日本人の壮絶な日々を映し出す。出演は「空母いぶき」の遠藤雄弥、「HOKUSAI」の津田寛治、「すばらしき世界」の仲野太賀。
自然塾を開き、子供の教育をするために 2024年 福島テレビ
小野田寛郎氏が晩年、当時のことを振り返るインタビュー。2016年 1時間50分
2014/08/14 靖国神社での講演

小野田寛郎氏は、2014年(平成26年)に91歳で亡くなりました。

小野田寛郎氏が靖国神社で行ったスピーチ 2014/08/14

ご紹介をいただきました小野田でございます。
今まで、この席を借りてあるいは他の会合で、「黙って靖国神社にお参りしていただきたい」それをお願いして参りました。

今、平沼さん(当時経済産業大臣)が言われたように、靖国神社に(8月)15日にお参りすると言ったのは、他でもない小泉首相であります。「命をかけて」と言っていわゆる解散(衆議院の解散)をしました。なぜ、「命をかけて」今日、お参りできないのか

私はあえて首相をけなしたくはありません。しかしながら、一国の首相たる者が、この靖国へお参りをして「心ならずも」と英霊に対して言葉をかけております。

果たして私たちは「心ならずも」あの戦争で命を散らせたのでありましょうか。私は15年間、靖国神社におまつりをしていただきました。もし私がその時に本当に死んでいたとすれば、国のために我々が戦わなければ誰が戦えるのかと、そういう自分たちの誇りを持って力いっぱい笑って死んでいったのであり、また、私だけでなしに私の仲間も皆そうであります。

それがなんで「同情」の対象なんでしょう。「誇り」を持って死んだ人に対して、なぜ、ただ黙って「ありがとうございました」と感謝の念を捧げられないのか。私は小泉首相に大反対であります。

靖国神社について、あるいはまた戦後のいわゆる国際裁判のこと、いろいろさきほどから諸先生方にお話を伺いました。また、ここにお集まりの皆様がたは、十分そのことをご承知のことと思います。事後法(東京裁判)など裁判ではありません。A級戦犯とは、敵国側が占領中につけた名前であって、決して我々の認める名前ではありません。

私はただひとことだけ、時間の関係で皆様に何としても申し上げたいことがあります。

それは、さきほど陛下の「終戦の詔書」を拝聴いたしました。しかしながら、現在の日本において、なぜ「開戦の詔書」を拝聴することがないのかということであります。

ものには「終わり」があるということは、「はじめ」があるからです。「結果」があるということは、「原因」があるからであります。

「開戦の詔書」は、私が本当に入隊するまでの間、しばらく、何ヶ月かお聞きしました。今でもよく憶えております。

「豈(あに)朕(ちん)が志ナラムヤ」(このような事態は、決して私の本意ではない」)と仰せられているのであります。

終戦の詔書にも、その旨が言われておりますけれども、「帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、決然起(た)ッテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破砕(はさい)スルの他無キナリ」(日本の自存自衛のためには、立ち上がる他はない)

陛下の言われているところに大東亜戦争の真の目的がはっきりと示されているのであります。

何が侵略戦争でありましょう。それをはっきり日本国民が自覚すれば、この靖国神社に黙ってお参りをし、そして黙って感謝の気持ちを捧げられるはずであります。その感謝の気持ちこそが、国を守るという大きな気持ちにつながっていく。私はそれを死ぬまで皆様がたに申し上げたいと思います。

どうか皆様、私が申し上げた「開戦の詔書」には、一部言葉の違いがあるかもしれませんが、意味においては私は絶対に間違ってないと思います。私は国のためを信じて三十年間戦い続けてきました。だけど、生きていたから靖国神社では落第生であります。

だけど、私と同じ時に死んだ、この仲間の気持ちは私と同じでありまして、私が今生きているからこそ、皆様にそう伝えたいわけです。

ご清聴ありがとうございました。

今も議論される「戦後」と安全保障

横井庄一氏と小野田寛郎氏の物語は、戦後日本に衝撃を与え、「戦後は本当に終わったのか?」という問いを投げかけました。彼らが任務を遂行し続けた姿は、「自己犠牲」や「忠誠心」といった価値観を再認識させるきっかけとなりました。一方で、彼らのように終戦を知らされず戦い続けた兵士がいるという事実は、当時の軍のあり方や情報伝達の不備といった問題も浮き彫りにしました。

この出来事は、戦後の日本が掲げてきた「平和主義」と、それを維持するための「安全保障」について、今も続く議論へと繋がっています。

各政党の歴史認識と安全保障に関する政策

現代の日本では、戦争の悲劇を繰り返さないため、各政党が異なる視点から戦争の捉え方や安全保障について議論しています。

  • 自由民主党(自民党:保守、中道右派、左傾傾向)
    • 「あの戦争はなんだったのか」:過去の戦争について、アジア諸国に「多大の損害と苦痛を与えた」という認識を基本としつつも、「これからの世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とする安倍談話の考え方も重視しています。
    • 安全保障政策:憲法改正によって自衛隊を明記し、防衛力の強化を掲げています。北朝鮮や中国といった周辺国の情勢変化に対応するため、日米同盟を基軸としながら、国民の生命・財産を守るための防衛力を高めていくとしています。
  • 立憲民主党(革新、中道左派、リベラル)
    • 「あの戦争はなんだったのか」:「植民地支配と侵略」という過去の過ちを明確に認め、痛切な反省と心からのお詫びを表明した村山談話の精神を堅持しています。歴史に謙虚に向き合うことが、国際社会からの信頼を得る上で不可欠であるとしています。
    • 安全保障政策:憲法9条を堅持し、「専守防衛」の原則を基本としています。防衛力の強化には慎重な姿勢を取り、非軍事的な外交と国際協調を通じて、日本の安全保障を確保するとしています。
  • 日本維新の会(保守、右派、リベラル)
    • 「あの戦争はなんだったのか」:歴史は歴史家が検証すべきだという立場を取り、特定の歴史観を教育で押し付けるべきではないとしています。日本の名誉を守り、前向きな歴史教育を進めるべきだと主張しています。
    • 安全保障政策:憲法改正によって自衛隊を明記し、「自衛のための軍」を保有することを提言しています。核兵器の共有も選択肢に入れるなど、国際情勢の変化に対応する、現実的な防衛政策を主張しています。
  • 公明党(中道、保守)
    • 「あの戦争はなんだったのか」:加害の歴史を直視し、戦争の悲劇を決して繰り返さないという立場です。非核三原則の堅持など、独自の平和主義を強調しています。
    • 安全保障政策:憲法9条を堅持し、専守防衛に徹することを基本としています。対話と外交を重視し、国際平和に貢献する「人間の安全保障」の視点を掲げています。
  • 国民民主党(中道、保守、リベラル)
    • 「あの戦争はなんだったのか」:過去の反省を踏まえつつ、歴史を教訓として未来志向で建設的な議論を行うべきだという姿勢です。国際協調を重視し、歴史を風化させない努力の必要性を強調しています。
    • 安全保障政策:「現実的な安全保障政策」を掲げ、防衛力の強化を訴えています。憲法改正による自衛隊の明記にも賛成しています。日米同盟を基軸としつつ、国際協調と外交努力も重視し、国民の安全を確保するとしています。
  • 日本共産党(革新、左派)
    • 「あの戦争はなんだったのか」:日本が行った戦争を、「侵略戦争」として明確に位置づけ、当時の支配層が国民を戦争に駆り立てた責任を追及しています。
    • 安全保障政策:憲法9条を擁護し、自衛隊は違憲であるという立場です。防衛力強化に反対し、日米安保条約の廃棄を主張しています。軍事力ではなく、東アジアでの外交的解決を図ることで、日本の安全保障を確保するとしています。
  • 参政党(保守、右派)
    • 「あの戦争はなんだったのか」:欧米の植民地支配からのアジア解放という側面を強調し、「大東亜戦争」という言葉を用いるなど、従来の歴史観とは異なる独自の視点を主張しています。
    • 安全保障政策:自衛隊を「国軍」と位置づけるための憲法改正を主張しています。国防は国家の責務であるとし、国益を優先した自立した安全保障政策を掲げています。
  • れいわ新選組(革新、左派)
    • 「あの戦争はなんだったのか」:戦争の悲劇の背景には、貧困や格差があったとして、そうした問題を根本的に解決することが平和につながるという認識です。
    • 安全保障政策:非武装中立を掲げ、憲法9条の改正に反対しています。軍事力による抑止は危険であり、外交による平和構築こそが重要であると主張しています。
  • 日本保守党(保守、右派)
    • 「あの戦争はなんだったのか」:日本の歴史観を「自虐的」だとし、誇りある日本の歴史を取り戻すことを主張しています。
    • 安全保障政策:自主防衛力の強化を主張し、憲法9条を改正して自衛隊を「自衛軍」として明記することを掲げています。国益を最優先する独自の安全保障政策を進めるとしています。

まとめ 過去のできごとはすべて未来につながっている

戦後、30年近くもジャングルで戦い続けた横井庄一氏と小野田寛郎氏。彼らの物語は、私たちに「あの戦争とは何だったのか」という重い問いを投げかけます。彼らが任務を遂行し続けた姿は、「自己犠牲」や「忠誠心」といった価値観を再認識させるきっかけとなりました。一方で、彼らのように終戦を知らされず戦い続けた兵士がいるという事実は、当時の軍のあり方や情報伝達の不備といった問題も浮き彫りにしました。

彼らが帰ってきた場所には、戦争を知らない私たちがいました。彼らは、私たちに何を伝えようとしたのでしょうか。

今回は当時、大きなニュースとなったお二人のエピソードを取り上げましたが、他にも現地に残って住民と結婚して永住したり、独立戦争の手助けをして現地人と一緒に戦った人たちも大勢いらっしゃいます。

歴史の出来事を「過去のもの」として片付けるのではなく、それぞれの立場で考え、未来に活かしていくことが大切です。

おまけ 開戦の詔書と終戦の詔書

開戦の詔書(常用漢字版・現代語の対訳)

天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス

天の助けを受けて、永遠に続く皇位を継承する
大日本帝国の天皇は、ここに、忠実で勇ましいあなたたち国民に示す。

朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス 朕カ陸海将兵ハ 全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ

朕カ百僚有司ハ 励精職務ヲ奉行シ

朕カ衆庶ハ 各々其ノ本分ヲ尽シ 億兆一心国家ノ総力ヲ挙ケテ 征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ

私は今、アメリカとイギリスに対して戦争を始めます。 私の陸軍・海軍の兵士たちは 全力を尽くして戦いに従事し、

私のすべての役人たちは 精一杯職務を行い、

私の国民たちは それぞれが自分の役割を全うし、 国民全体が心を一つにして国の総力を挙げ、 この戦争の目的を達成するために、不備がないように努めてほしい。

抑々東亜ノ安定ヲ確保シ 以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ 丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ 作述セル遠猷ニシテ 朕カ拳々措カサル所

而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ 万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ 之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ

そもそも、東アジアの安定を確保し、 それによって世界の平和に貢献することは、 偉大なご先祖様方が示された、 遠い未来を見通した計画であり、 私が常に大切に心に留めていることである。

そして、多くの国々との友情を深め、 すべての国が共に栄える喜びを分かち合うことは、 これもまた、日本が常に外交の基本としてきたことである。

今ヤ不幸ニシテ米英両国ト
釁端ヲ開クニ至ル
洵ニ已ムヲ得サルモノアリ
豈朕カ志ナラムヤ

今、不幸にもアメリカとイギリスとの間で
争いを始めることになってしまった。
本当にやむを得ないことであり、
どうして私の本心であろうか(本心ではない)。

中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セス
濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱シ
遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ
茲ニ四年有余ヲ経タリ

中華民国政府は以前、日本の本当の気持ちを理解せず、
むやみに争いを起こして東アジアの平和を乱し、
ついに日本に武器を取らせるに至った。
ここから4年以上が経過した。

幸ニ国民政府更新スルアリ
帝国ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ
相提携スルニ至レルモ
重慶ニ残存スル政権ハ
米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ
兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス

幸い、新しい国民政府ができたため、
日本はこれと良い隣人関係を結び、
お互いに協力するようになったが、
重慶(じゅうけい)に残る政権は、
アメリカとイギリスの保護を頼りにして、
未だに身内同士で争うことをやめない。

米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ
東亜ノ禍乱ヲ助長シ
平和ノ美名ニ匿レテ
東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス

アメリカとイギリスは、その残った政権を支援して東アジアの混乱をさらに大きくしようとし、
平和という美しい言葉の裏で、東洋を支配するという大きな野望を叶えようとしている。

剰ヘ与国ヲ誘ヒ 帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ 更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ 遂ニ経済断交ヲ敢テシ 帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ

その上、彼らは味方の国々を誘い、
日本の周辺で軍備を強化して私たちに挑戦し、
さらに日本の平和的な貿易にあらゆる妨害を加え、
ついには経済的な関係を断ち切り、
日本の生存に重大な脅威を与えた。

朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ 隠忍久シキニ弥リタルモ 彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク 徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ 此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ 以テ我ヲ屈従セシメムトス

私は、政府に命じて事態を平和的に回復させようと、長い間ひたすら我慢を重ねてきたが、彼らは少しも譲歩する気持ちがなく、ただ単に事態の解決を先延ばしにするばかりで、この間に、かえって経済上、軍事上の脅威をますます増大させ、私たちを無理やり従わせようとしている。

斯ノ如クニシテ推移セムカ 東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ 悉ク水泡ニ帰シ 帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ

もしこのまま推移すれば、東アジアの安定に関する日本の長年の努力は、すべて水の泡となり、
日本の存立もまさに危機に瀕することになる。

事既ニ此ニ至ル 帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為 蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ

事態はすでにここまで来てしまった。
日本は今、自国の生存と自衛のために、きっぱりと立ち上がり、すべての障害を打ち破る以外に道はない。

皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ
朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ
祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ
速ニ禍根ヲ芟除シテ
東亜永遠ノ平和ヲ確立シ
以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス

ご先祖様方の神聖な魂が私たちを見守っている。
私は、あなたたち国民の忠誠心と勇敢さを信じ、
ご先祖様が残された事業をさらに発展させ、
一刻も早く災いの根源を取り除き、
東アジアの永遠の平和を確立し、
それによって日本の栄光を守り抜くことを誓う。

終戦の詔書(常用漢字版・現代語の対訳)

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル汝臣民ニ告ク

朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

私は深く世界の情勢と日本の現状を考え、 この非常の事態を収拾するために、 忠実で善良な国民であるあなたたちに告げます。

私は政府に、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の四カ国に対し、 彼らの共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れることを伝えるよう命じました。

抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ 万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遺範ニシテ 朕ノ拳々措カサル所

曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ 亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ 固ヨリ朕カ志ニアラス

そもそも、国民の平和と安全を守り、 世界中の国々が共に栄える喜びを分かち合うことは、 ご先祖様方から受け継いだ教えであり、 私が常に大切にしてきたことです。

先にアメリカとイギリスに戦争を始めた理由も、 本当に日本の自立と東アジアの安定を心から願ったからであり、 他国の主権を無視したり、領土を侵したりするようなことは、 元々私の考えではありません。

然ルニ交戦已ニ四年有余ヲ経タリ 朕カ陸海将兵ノ勇戦 朕カ百僚有司ノ励精 朕カ一億臣民ノ奉公 各々最善ヲ尽セルニ拘ラス 戦局必スシモ好転セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス

加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラザルニ至ル

しかし、戦争が始まってすでに4年以上が経ちました。 私の陸軍・海軍の兵士たちの勇敢な戦い、 私のすべての役人たちの職務への努力、 そして、一億国民の国への尽力は、 それぞれが最善を尽くしてくれましたが、 戦況は必ずしも好転せず、 世界の情勢もまた日本に有利ではありません。

さらに敵は、新しく残虐な爆弾(原子爆弾)を使って、 罪のない多くの人々を殺し、傷つけ、 その悲惨な被害は、本当に予測できないほどになっています。

而モ尚交戦ヲ継続セムカ 終ニハ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラズ 更ニ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ

斯ノ如クニテハ朕ハ一体何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ

朕ハ茲ニ帝国ノ玉音ヲ以テ 全臣民ニ告諭シ 忠良ナル汝臣民ノ 真摯ニシテ強固ナル 意志ヲ確認シテ 戦争ヲ中止スルニ 至レリ

もしこのまま戦争を続ければ、 最終的には私たちの民族が滅びるだけでなく、 人類の文明も破壊してしまうでしょう。

こうなってしまっては、私はどうやって多くの国民を守り、 ご先祖様方の御霊に申し開きをすればよいのでしょうか。

私はここに、私の声をもって、 すべての国民に伝え諭し、 忠実で善良な国民であるあなたたちの 真摯で強い 意志を信じて、 戦争を終わらせることに しました。

朕ハ帝国ト共ニ終始一貫
全力を竭テ護持シ
神霊ノ加護ヲ信ジ
臣民ノ忠誠ヲ信倚シ
速ニ禍根ヲ芟除シ
平和ノ世界ヲ開キ
以テ国体ヲ保全セムコトヲ期ス

私は、日本と共に最後まで一貫して
全力を尽くして国を守り、
神々の守りを信じ、
国民の忠誠心を信じて、
速やかに災いの根源を取り除き、
平和な世界を築き、
それによって日本の国のあり方を守ることを誓います。

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