アジア諸国は日本に感謝してくれている?

外交や国際的な問題
1943年、東京で開かれた大東亜会議。自主独立の尊重と相互親睦、互恵的経済発展、人種差別の撤廃などを掲げました。タイ、フィリピン、ビルマ、満州国などの代表者が参加しています。 左からバー・モウ、張景恵、汪兆銘、東条英機、ワンワイタヤーコーン、ホセ・ラウレル、スバス・チャンドラ・ボース
  1. アジアや欧米の要人は日本の「大東亜戦争」をどう見ていたか
  2. アジア諸国の評価
    1. べトナム ホーチミン首相(独立時の指導者)
    2. タイ ククリット・プラモート 首相
    3. インドネシア スカルノ大統領
    4. インド ジャワハルラール・ネルー初代首相
    5. エジプト カマールアブドゥルナーセル 第二代大統領
    6. ビルマ バー・モウ首相
    7. マレーシア
      1. マハティール・ビン・モハマド マレーシア首相
      2. ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
      3. トゥン・ムハンマド・ガザリ・シャフィ 元外務大臣
      4. ザイナル・アビディーン 歴史学者
    8. スリランカ ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ(第二代大統領)
    9. 韓国
      1. 李承晩 大統領
      2. 韓日文化研究所 朴鉄柱(韓国の研究者。日本文化や信仰・精神研究) 
    10. 台灣
      1. 蔣介石(しょうかいせき) 初代総統
      2. 李登輝(りとうき) 総統
      3. 台湾 許文龍 国策顧問・総統府資政・実業家
    11. インドネシア プン・トモ元情報相
    12. シンガポール ゴー・チョクトン 首相
  3. 欧米の評価
    1. 連合国軍最高司令官 ダグラスマッカーサー
    2. ラダ・ビノード・パール 東京裁判判事
    3. ヘレン・ミアーズ(東洋史・地政学者。GHQ労働諮問委員会の一員として来日)
    4. イギリス アーノルド・J・トインビー 歴史家
    5. オランダ サンティン・アムステルダム市長 内務大臣
    6. ジョイス.C.レブラ博士(米国コロラド大学歴史学部教授)
    7. エリック=ホプスバウ博士(英国ロンドン大学教授)
  4. おまけ:日本の戦争や事変をおさらい

アジアや欧米の要人は日本の「大東亜戦争」をどう見ていたか

前回、『日本が支配してた国?どうして仲の良い国とそうでない国があるんだろう?』というテーマで、欧米の植民地政策と日本の統治について、また、戦後の各国についてみていきました。

最近、特に第二次世界大戦のことを「あの戦争」または「大東亜戦争」という呼びかたにして「自虐史観」はやめようなどというのを聞くことが増えています。

今回は、主に戦後に国としての独立を果たしたアジアの国々を中心に、その国の大統領や首相などの要人が日本をどう見ていたか、また、戦勝国の有識者たちがどんなことを言っていたかについても掘り下げてみます。

アジア諸国の評価

べトナム ホーチミン首相(独立時の指導者)

ホーチミン氏 1946年頃

「日本軍がフランス軍を武装解除(ぶそうかいじょ:武器を捨てること)したことが、我々が独立のチャンスを得る直接的な原因になった」

タイ ククリット・プラモート 首相

ククリット・プラモート氏

日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。

今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のおかげであるのかそれは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。

12月8日(開戦の日)は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日(終戦の日)は、我々の大切なお母さんが病の床(やまいのとこ)に伏した日である。我々はこの2つの日を忘れてはならない

インドネシア スカルノ大統領

スカルノ氏

我々が(オランダからの)独立を勝ち得たのは、日本があれだけ戦ったのに同じ有色人種の我々に同じことができないわけはないと発奮したからである。

インド ジャワハルラール・ネルー初代首相

ジャワハルラール・ネルー氏

彼ら(日本)は謝罪を必要とすることなど我々にはしていない。それゆえインドはサンフランシスコ講話会議には参加しない。講和条約にも調印しない。

エジプト カマールアブドゥルナーセル 第二代大統領

カマールアブドゥルナーセル氏

(アジアは独立していったが、アラブやアフリカが独立できないのは)
アジアには日本があった。しかしアラブには日本がない。

ビルマ バー・モウ首相

歴史的に見るならば日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたりあるいは多くの事柄に対して、範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない。

もし日本が武断的独断とうぬぼれを退け、開戦当時の初心を忘れず大東亜宣言の精神を活かし南機関(ミャンマーの独立を支援した特務機関)や鈴木大佐(南機関の機関長)らの解放の真心が人間の間にもっと広がっていたらいかなる軍事的敗北もアジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝を日本から奪い去ることはできなかったであろう。

日本のために惜しむのである。

マレーシア

マハティール・ビン・モハマド マレーシア首相

日本の戦争責任を問うならばそりより以前、非人間的な支配と収奪を続けた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた。

ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員

ラジャー・ダト・ノンチック氏

私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。

トゥン・ムハンマド・ガザリ・シャフィ 元外務大臣

ガザリ・シャフィ氏

日本はどんな悪いことをしたというのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍はすごかった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとても敵わないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったがあの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。

日本は敗れたがイギリス軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。

ザイナル・アビディーン 歴史学者

日本軍政は、東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に、大きな〝触媒″の役割を果たした。

スリランカ ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ(第二代大統領)

往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。…当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。 (1951年、サンフランシスコ対日講和会議演説)

なぜアジアの諸国民は日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に渡る関わり合いのゆえであり、またアジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬のゆえであり、日本がアジア諸国民の中でただ一人強く自由であったとき、我々は日本を保護者としてまた友人として仰いでいた時に日本に対して抱いていた高い尊敬のためでもあります

韓国

李承晩 大統領

李承晩大統領 日本から解放された後、初代大統領となった李承晩は、日本の統治を「侵略と収奪(しゅうだつ:力ずくで奪うこと)」の歴史として厳しく批判しました。

彼は、日本に対して多額の賠償(ばいしょう:損害を償うお金)を求め、日本との国交正常化に反対する姿勢を強く示しました。

韓日文化研究所 朴鉄柱(韓国の研究者。日本文化や信仰・精神研究) 

現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。

平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり誇り高き民族であった。

最後はハルノートを突きつけられそれを飲むことは屈辱を意味した。「事態ここに至る。座して死を待つよりは戦って死すべし」というのが開戦時の心境であった。それは日本武士道の発露であった。

日本の武士道は西欧の植民勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争この2つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。

この意義は、いくら強調しても強調しすぎることはない。大東亜戦争で日本は敗れたというが負けはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。

彼らはこの戦争によって植民地を全て失ったではないか。「戦争に勝った負けたかは戦争目的を達成したかどうかによって決まる」というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。

日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ聖なる戦争であった。ある人は敗戦によって「日本の国土が破壊された」というがこんなものはすぐに回復できたではないか。

二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこない。がしかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて国民の尊崇対象となるのである。

台灣

蔣介石(しょうかいせき) 初代総統

初代総統の蔣介石は、日本の敗戦後、日本の行いを「怨みに報いるに徳を以てす(うらみにむくいるにとくをもってす)」という言葉で許しました。これは、過去の恨みを乗り越えて、徳(人としての正しい行い)をもって接するという意味です。彼は、日本を「中国を弱体化させるための共産主義と戦う仲間」と見なしました。

李登輝(りとうき) 総統

台湾初の台湾出身総統で「台湾民主化の父」と言われた李登輝氏は、「日本統治時代は素晴らしい統治だった」と評価し、「日本は『母の国』だ」と発言するなど、日本に対して非常に親しい感情を持っていました。

2020年までご存命でしたので、記憶にある方も多いと思います。

2007年5月に来日されて、外国特派員協会(日本に派遣されている外国報道機関の特派員やジャーナリストのために運営されている)で記者会見をされた映像が残っていますので、実際の言葉を聞いてみましょう。

前半(李登輝氏が語った内容(字幕のみ) 後半:実際の記者会見 4分頃)

台湾 許文龍 国策顧問・総統府資政・実業家

(李登輝氏と親しく、総統府の国策顧問を4年間務めたほか、総統府資政(2000-2006)を務め、陳水扁総統の相談役として台湾独立運動を支持した。)

戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。台湾の基礎のほとんどは日本統治時代に完成したものであり、日本人が来てまず治安が一挙によくなり衛生状態も良くなった。

守るべき法ができ、税金も清朝統治時代に比べてかなり良くなった。しかし残念なことに戦後の日本政府は深い絆を持ちながら世界で一番の親日国家である台湾を見捨ててしまいました。

謝罪すべきは台湾を統治してきたことではなく、台湾を見捨てた戦後の日本外交なのです。

インドネシア プン・トモ元情報相

我々アジアアフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。

インドネシアの場合は350年間も失敗が続いた。それなのに日本軍がアメリカ・イギリス・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

我々は白人の弱体と醜態ぶりを見てアジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった。それなのにすべてを日本に背負わせて日本を滅亡寸前にまで追い込んでしまった。申し訳ない。

シンガポール ゴー・チョクトン 首相

「日本軍の占領は残虐なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は、自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後15年以内に、アジアの植民地は、すべて解放された」(「諸君!」平成5年7月号)

欧米の評価

連合国軍最高司令官 ダグラスマッカーサー

日本は8,000万に近い膨大な人口を抱え、それが4つの島の中に占めているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で後の半分が工業生産に従事していました。

潜在的に日本の要する労働力は、量的にも質的にも私がこれまで接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。

歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は人間は怠けている時よりも働き生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んだも良いようなものを発見していたのです。これほど巨大な労働能力を持っているということは彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。

彼らは工場を建設し労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。日本は絹産業以外には固有の産物はほとんど何もないのです。

彼らは綿がない羊毛がない石油の産出がない、錫(すず)がない、ゴムがない。その他、実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのですもしこれらの原料の供給を断ち切られたら1,000万から1,200万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。

従って彼らが戦争に飛び込んでいった動機は大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。

(1951年(昭和26年)5月3日、米国議会上院軍事外交合同委員会に於けるマッカーサー証言)

ラダ・ビノード・パール 東京裁判判事

(極東国際軍事裁判(東京裁判)において連合国が派遣した判事の一人で、判事全員一致の有罪判決を目指す動きに反対し、平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法(既にある法律ではなく、裁判の際に新しく作られた法律)であり、事後法をもって裁くことは国際法に反するなどの理由で被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」)で知られる。)

私の判決文を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。それなのにあなた方は自分らの師弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙をあえてしたのだ」と教えている。

満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されていくのを、私は平然として見過ごすわけにはいかない。

誤られた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えなければならない。

ヘレン・ミアーズ(東洋史・地政学者。GHQ労働諮問委員会の一員として来日)

1910年日本が韓国を併合したのは韓国の新皇帝が「請願」したからだった。

パールハーバー以前は日韓関係について語る歴史家は日本は欧米列強から教わった国際関係への規則を実に細かいところまでも几帳面に守っていたと言って褒めるのだ。

トリート教授によれば日本は一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上げてきた。そして宣言ではなく条約で最終的な併合を達成したのである。

事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど合法的手続きを踏んでいなかった。

イギリス アーノルド・J・トインビー 歴史家

第二次大戦において日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために偉大なる歴史を残したと言わねばならない。

その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前においてアジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような「不敗の半神」でないことを明らかに示した点にある。

オランダ サンティン・アムステルダム市長 内務大臣

あなた方の日本国は先の大戦で負けて、私共のオランダは勝ったのに大敗をしました。今日の日本国は世界で一、二位を争う経済大国になりました。

私達オランダは、その間、屈辱の連続。即ち、勝った筈なのに、貧乏国になってしまいました。戦前は「アジア」に大きな植民地(オランダ領東インド(蘭印)=ほぼ現在のインドネシア)が有り、石油等の資源・産物で、本国は栄耀栄華を極めておりました。しかし今では、日本の九州と同じ広さの本国だけになってしまいました。

あなた方の日本国は、「アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑をかけた」と、自らを蔑(さげす)み、ぺこぺこと謝罪していますが、これは間違いです。

あなた方こそ、自らの血を流して、アジア民族を解放し、救い出すと言う人類最高の良い事をしたのです。何故ならば、あなた方の国の人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、先の大戦の目先の事のみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪い事をしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。

本当は、私共白色人種が悪いのです。百年も二百年も前から、競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土として勢力下に置いたのです。植民地・属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄権樹立という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。

本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は戦いに敗れましたが、東亜の解放は実現しました。即(すなわ)ち、日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わったのです。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。

日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑む事を止(や)めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」

(昭和60年(1985年)日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)

ジョイス.C.レブラ博士(米国コロラド大学歴史学部教授)

東京裁判と大東亜共栄圏の理念の再検討について

「東京で開かれた極東国際軍事裁判(東京裁判)で、打ち出された一つのイメージ、即ち、日本は世界で最も強欲な軍国主義国家の一つであったとする思想は、太平洋の西側(日本を含むアジア)で、
長い間再検討されないまま放置されていた。

公私の資料の入手難が解明を遅らせ、太平洋戦争(大東亜戦争)の幾つかの局面を暗闇に閉じているのが現状である。又、日本の歴史家達は、東南アジアに於いて日本が大東亜共栄圏に託した理念、実現の方法等を吟味する事に、今日迄消極的であった。

 ごく最近になって、アメリカ合衆国の学者は、日本の戦争目的を再検討する事に着手し、これ迄の定説を修正し始めた。(中略) 再検討を志すアメリカ合衆国の学者達の意見に依れば、太平洋戦争は、西欧資本主義流の帝国主義の単なる日本版では無く、それにもまして西欧諸国の進出によって脅威を受けた日本が、(自国の)存亡に関わる権益を防衛する為の戦いであったのである。

更にアジアを包含しようとする大日本帝国の野望として従来は見なされていた、大東亜共栄圏の理念も又再検討されて然るべきである。

アジアの独立について

日本の敗戦、それは勿論、東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も許してはならない、もう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。

民族主義者(東南アジアの民族主義者)は、日本占領期間中に(日本軍により)身に付けた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、
民族主義、独立要求は最早引き返せない所に迄進んでしまったと言う事を、イギリス、オランダは、戦後になって思い知る事になるのである。

(中略) 更に、日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の後には、二度と外国支配を許すまいと言う自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身に付け、独立を求める牢固たる意思に支えられていた。」

(ジョイス.C.レブラ 『東南アジアの解放と日本の遺産』 秀英書房)

エリック=ホプスバウ博士(英国ロンドン大学教授)

 「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動に依るものでは無く、日本軍とチャンドラ=ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同して、ビルマ(現ミャンマー)を経由し、インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされたものである。」

(エリック=ホプスバウ 『過激な世紀』)

おまけ:日本の戦争や事変をおさらい

戦争・事変名主な期間主な戦場対戦相手結果と影響
日清戦争明治27年(1894年)~明治28年(1895年)朝鮮半島、黄海清(中国)日本が勝利。台湾の領有と朝鮮への影響力を獲得し、国際社会での地位を向上させました。
日露戦争明治37年(1904年)~明治38年(1905年)満州、日本海ロシア日本が勝利。満州での権益を獲得し、日本が世界の大国の一つとして認められるきっかけとなりました。
第一次世界大戦大正3年(1914年)~大正7年(1918年)主にヨーロッパドイツなど連合国の一員として参戦し、勝利。これにより国際連盟の常任理事国になるなど、国際的な発言権が強まりました。
満州事変昭和6年(1931年)満州(中国東北部)中国軍日本の関東軍が満州を占領し、満州国を建国。国際連盟から日本の行動が非難され、日本は国際的に孤立する道を選びました。
日中戦争昭和12年(1937年)~昭和20年(1945年)中国本土中国泥沼の戦いとなり、その後の太平洋戦争へとつながる大きな要因となりました。
大東亜共栄圏構想昭和15年(1940年)アジアを欧米の植民地支配から解放し、日本を中心とした経済圏をつくるという目的を掲げた構想。
第二次世界大戦 (太平洋戦争)昭和16年(1941年)~昭和20年(1945年)太平洋、東南アジア連合国(アメリカ、イギリスなど)日本の敗戦。これにより、すべての植民地や占領地を失い、戦後、日本国憲法が制定されるなど、国のかたちが大きく変わりました。

コメント